「どんなかたちだったのか? 記憶に残らないほどいいデザイン」

ニッポンの(旬な)デザイナー100人を紹介している小冊子、
「AERA DESIGN」。
そこで見つけた(TOTO)の衛生陶器のコピーなんだけど、なんとなく・・・引っかかって。
それこそ、なんについてのコピーだったか?記憶に残らないほどいいコピー・・・(なんちゃって)。
存在感を意識的に(徹底的に)なくしていくことを意図しての、デザインだそうだ。
建築家が(住宅デザインで)プレーンな空間を表現したいとき、やはり、なくしていく(消していく)
デザインにこだわる。枠を消す。巾木を消す。窓を消す(サッシを外引きに収める)。
チリをギリギリに抑える・・・なんてことを・・・、先ず優先する。
ビルダーレベルでは、全体の予算枠の中での(費用対効果)を意識してしまって、そこまでこだわりきれないのだが・・・確かにそのような家は、写真に撮ると美しい空間になっている。
写真に撮ると・・・と、そう書いてしまったのは・・・網戸もなしに窓を全開口できる日って、年に何日あるのだろう?・・・って、そんなことを考えてしまったからだ。
そんなボクは、やはり「へそ曲がり」で、「無粋」で、「野暮」な工務店のオヤジなのでしょう。
宮脇さんが、(やはり存在感をなくす意図で)照明器具のデザインまで手がけていたと、モノの本で読んだことがある。必要な明るさを確保して、灯りそのものを楽しむための照明だから、ボクも器具はシンプルなものを選んでいる。それに・・・シンプルなものほど、安い。
家って、住まう人が主役なのだから、ボクもできるだけオーバーデザインにならないよう心がけている。
でも、少しは(程度が難しいのだけれど)木を見せたい。木に触れていたいって・・・そう、思う。
この本では、一般的には認知度の低い「プロダクトデザイナー」についても書かれていて、興味深い。
考えてみれば、柳宗理のカラトリーだとか、それこそ(ブログにも書いた)耕民の包丁だとかを別にすれば、手にしたモノから、デザイナーの顔が連想されることって稀有だろう。
でもゲンジツには、(生活の中で意識することはないのだが)私たちが使っているもの・・・
それらのすべてが「誰か」によってデザインされている。たとえば、このパソコン。そして、マウス。それに座っている椅子。大げさに言えば、この100Yenショップで買った老眼鏡だって・・・。
プロダクトデザインは、「生活の中のアート」だって書いてあるけど、たしかにモノって用が足せればそれでいいってもんでもない。デザイン性って、大切なんですよネ。見た目だけでなくて、触った感触、手にした重さ、使い心地・・・いいデザインって、バランスも優れているのです。
日常の中で、さりげなく「アートしてる」ってモノに出合うと、それが何であれ、なんだかウレシクなる。
生活を楽しくしてくれる。その中から「一生モン」なんてタカラモノが生まれたりする。


