「ばうはうすの家」のオーナーとなった皆様から頂戴したお手紙を紹介いたします
その人、その夫婦、その家族、環境や生活感の違い、健康状態…様々な視点から「家を建てることへの想い」「生活への想い」・・・などなど。→アンケートも頂戴しています
今だから言えることもあって
今ならまだ覚えていて
だから残しておこうと思ったこと・・・
わりと広いアパートに住んでいたのですが、徐々に生活に不便が生じてきました。 三姉妹が大きくなるにつれて、まず収納容量オーバーの難にぶつかります。 赤ちゃんの時、ハンカチをたたむほどにちっちゃかった服がみるみるうちに大きくなり、引き出しは「布団圧縮袋」ならぬ「服圧縮箱」でした。 私が家を建てたいと思い始めた頃は、papaの〔それとは別の思い〕と衝突するという難もありました。 それは今だから言える、うちの年表があればそこには[○○の乱]──。
アパートの難は女性の視点であげればいくつもあって、せまい台所では5人分の食事の準備と後片付けにいつもイライラして、たまねぎなんか切っていないのに涙が出ることもありました。 あと、アパートの名前が「ハイツ原宿物語パートツー」ととてもはずかしく、これはプチ難ですが、居住6年の間できるだけ省略して生きてきました。
子供にまつわる難といえば、長女が1年生になってデスクも置けず、授業で発表したと持って帰ってきたプリントには、
というショッキングな答えが書いてあり、先生が○をくれているのがまた泣けました。 このように、いろんな難関にぶつかつて、難題を解いて、難門をくぐりぬけて、何が難だかわからない状況で、我が家の =アパート脱出計画= が始まったのでした。
退去したらしたで恋しい「ハイツ原宿物語パートツー」は、1本の道を挟んですぐに線路だったので、うるさいし揺れた。
【揺れる】の方は、一瞬地震かと思うくらいで生活に支障はなかったのですが、ニュースとかドラマとか、聞き逃せない場面のその数秒をねらってかならず電車が来る、
これがむかつく……んだけど、なにか法則的なそれに感心しちゃってもいました。
(それって、マーフィーの法則、とかいう言い方もありますよね!![ばぅ])
新しい土地はそんな悩みのない静かなところもいいと思っていました。 子供の学区域内で、平日子供を見てくれるばばちゃんちの近くとか、現実的な条件と、あとは今だけ見られる夢──大きいお家・広い庭──。
タイミングよく幼なじみから近所に売地が出ていると聞いて早速見に行きました。 その敷地を囲んで5~6本のひらひらと立つ、黄色地に赤い字の「好評売出中」のでっかい旗がアパート名と同じセンスで笑いました。 が、敷地に立ってみると、その眺めの良さにあっさりと気に入ってしまいました。 学区域内だし、祖母宅からちょっと離れるのですが、車で5分の夜景付きという好環境。 早速、papaを連れて行き、お約束で旗のセンスにひと笑いもしましたが、慎重派のpapaも冬場の道路を気にしつつもこの土地を気に入りました。 近くには焼肉屋さんや中華屋さんもあって「風向きによってはこの匂いで白いごはんだね」なーんて言いながら私たちの夢はどんどんふくらむのでした。
そして、あの旗を建てたであろう不動産屋さんに、その後、土地の取得までお世話になりました。
住宅など全く無縁な年頃からオープンハウスめぐりをしていたのは私ではなく私の親友。 彼女の住む実家は豪邸(シャンデリアとかの方じゃなく、玄関にはヨロイ兜とかいる和の豪邸)で、旦那さんも入って住んでおり、この先も自宅を新築という目線ではやっぱり無縁なのです。 が、前置きのとおりの《住宅好き=目利き?》なので、うちのオープンハウス巡りにも毎回くっついてき……いえ、ついて来ていただいたのでした。 あそことか、あそことか……子供をぞろり連れて静の場へ、この迷惑な形態がどこのスタッフの目をもキラン☆とさせます。
ある所では、子供たちが壁にぺたぺたさわるので「手をつないでください」と注意され、うちの三人娘を拘束するのに1本手がたりねぇと思ったものです。 そんな厳しい業界の中……
ここで一句、
そんな楽しい日々のある日彼女が、だいぶ前に見に行った「ばうはうす」というところがあったけど……
{モデルハウスもなかったし、どういう家って説明できないし、今もやってるかわからないし……}
と、その時は他の住宅屋さんに食いついていたのか、そこでは話はふくらみませんでした。
※{カッコ}内は、さも彼女のセリフっぽいのですが私が推測した書いた文章でした。ごめんなさい……
しばらくして、ばうはうすのオープンハウスが広告に載ってる、けど終わってる、というメールをもらい、しかもうちの近くで開催されたというので何かのついでに見に行きました。
ツイデというくらいなのだから「なるほど」くらいか「見てみたかったな、残念」くらいで帰るのがツジツマのあう結末なのでしょうが、次の休みにはもう事務所のピンポンを押していました。
時間の約束はしていたもののピンポンしても返事がないので声をかけました。
その、黒いソファから起き上がってきた人が、電話の口調から想像していたよりも恐そうで、おまけにお疲れの所にお邪魔しちゃったという二重の予想外で
私たちのテンションを下げた、はじめましての岩上社長さんでした。
こころよく(たぶん)オープンハウスをしたというお家を、後日みせてくれるとのこと。下がったテンションも上昇
です。
ハイツ原宿(もうい長いから略します!!)のフローリングはパソコンチェアのキャスターに殺られてハゲハゲのボロボロのズタズタ(このくらいで許してやろう)でした。 壁のクロスも所々はがれ、私たちの6年間の軌跡は何の風合いもなくただハゲとボロとヤニと画鋲の穴で締めくくられました。 唯一、子供の落書きだけが思い出の1枚だったのでした。 この傷だけを残したアパートのような家が、まさにうちの選択肢から早々に外れた「新建材」の家なのでした。 なので、早々に選択も狭まった、ということです。 え? まだ意味がわからないと? ……ズバリ! うちは早々にハウスメーカーが(有・無)で「無」になった、ということです。
その後、本物の木で建てられたすてきなお家をたくさん見てきました。 テーマパークのような一歩入ればおはなしの世界みたいなお家や、住めば住むほど味が出るかっこいいビンテージハウスや、より濃い木の香りに誘われて? ログハウスに足を運んだりもしました。 どこのお家を見てもステキで、心臓がドキドキして目がハート♥になりましたが、どこかを選ばなくてはなりません。 決め手の手を探すのです。 いつもジャージ着てる奴(papaですけど)がそこにいておかしくないか? たまには家事をさぼりたい(mama)、ちょっとくらい散らかっててもいいと思える部屋か? 子供たちのどうしても捨てさせてもらえない不細工なぬいぐるみだって一緒に引っ越さなきゃだし、キティちゃんのタオルやアンパンマンのクッションだってある。 そういうのがそこにあっても変じゃないか? 似合わない家じゃないか? ってこと。 うちはお茶漬けだけの日もあるんだぜ、ってこと(??)。 家族が無理なく暮らせるところ……この問答がうちの決め手の手となり、ほめ言葉になっていないけど──どのようにも暮らせそうな家=ばうはうすの家──が最終肢まで残ったのです。 (って、まだ決定じゃないのかいっ!)
家えらびはやっぱり女子が主導権? も一説にはありますが、うちのアルジは水道屋さん。 設備面(見えないところ限定!)はおまかせで頼もしいのですが、マイホーム計画を前に、10年務めた設備屋さんを退職し、晴れて……起業\(^o^)/……してしまったのです。 これはどういうことかと申すと“借りられない”ということです。起業・転職・最低2年と言います(いえ、勝手に作りました)。 そんな訳で、同じく勤続10年の私が一体いくら貸してもらえるのか、カチカチ(←クリック音)と日々借入シミュレーション、 それと同時に、コレを抜きに家は建たぬ、お父様お母様へのご挨拶、そしてご挨拶、と、ご挨拶。o O
そんな訳もあって、日も過ぎ、土地の購入からルーズに半年以上が経ってしまっていました。
が、ある予言の日が近づいていることに私だけが怯えていたのです。
それは……、第1章の[○○の乱]の時代に相談した占い師からのお告げ
『2007年 2008年は天中殺という悪い年でこの年に転機をつくってはいけない』
というもの。
家を建てるなんぞもってのほかなのです。
『天中殺』だの『大殺界』だの、何がこわいって「字」がコワい。
テレビをつければ細木数子と江原が私の恐怖心をあおるし、今もう2006年だし……。
急がねばとお金とお告げに阻まれながらばうはうすへメールしたのが春頃だったろうか? その旨とあわせて、初めてのちゃんとした打ち合わせのお願いを岩上さん、こころよく(たぶん)受けてくれました。 この時点で矢はばうはうすに刺さっていたのですが、私の「恐怖・占い師のお告げ」についても、笑いながらも真摯に回答くださり、資金面についてもシビアなアドバイスと明朗な説明で、 さらなる安心感を与えていただきました。 そして、2006年末までに建てていただくこととなり、また、こちらにもそちらにも訳あって、ばうはうすの水道設備工事をうちのpapaが担当させていただくことにもなりました。
他で建てた友達が「打ち合わせのたびにお金吸い取られてる気分」と言っていたのを思い出しますが、うちの場合は逆に、『ばうはうすはそれで大丈夫なのか?』と心配することがあるくらいの 明朗っぷりでした。
棟梁の清水さんはオープンハウスでの面識があって、初打ち合わせの日にも岩上社長さんが前かがみで私たちと話すその右側で、座ると胸が反り返る方の形のチェアに足を組んで座っていました。 岩上さんが深い信頼を寄せているのは見ていてよくわかるのですが、時にどっちが偉い人なのかよくわからなくなります。
建築中には、私が仕事終わりでいつもお邪魔して、話しかけ、清水さんの手を休ませ、その結果、残業? させてしまうので、ある日「夜食です」と差し入れしたら、 「そんなに仕事させる気か」とイヤな顔されました。 その話の中では、コラムにアップされる前の社長速報(今日はマライヤに行ってるナド)から、 実はすげぇサッシ使っちゃってることや、かわいそうなひつじの話、じゃなくて高級断熱材の優れぶりや、 こんなところにこんないい木を贅沢に使っちゃうんだよ、あの人は……などなど、ばうはうすのこだわりをたくさん聞くことも出来ました。 岩上さんはよくありがちな「うちはこんないい物を使っているんだゼ」的な自慢がひとつもない方なので(そこが良いのです!)二人の持ち場というか連携は、 かみ合ってるなー、と感心するところです。 逆に、清水さんと話をしない人はそのことを知らないままなのか? と気になったりもしますが、この連携が偶然だとしたら、まさに「かみ合った」人たちです。
ここでまた一句、
このフレーズは、清水さんから受け継がれた、私たち夫婦の、家が完成するまでの合言葉だったのでした。
2006年12月、家ができちゃいました。
はじめはこんなオシャレな家具まで入っちゃってそんなスタイリッシュな生活なんかできねぇ! と卑下しましたが、それはオープンハウスまでのこと。 家族のお気に入りたちを運び込んだらすっかり「じぶんち」んなってしまいました。 子供たちのお気に入りのクマちゃんも不思議とかわいく見えて♥ 子供たちまでもが良いとこの娘に見えたりして♡ 親バカでもあり、施主バカでもあります。 うちの子がやっぱりいちばんかわいいし、うちがやっぱりいちばんいい。 ←この瞬間『自分ンちができた後のオープンハウスに行く人が少ないという統計』にまるごと納得した瞬間です***
とにかく家の中が明るい! たとえ夫婦喧嘩していようが、子供がその空気に気を遣っていようが、家の中が明るい! いろんなところのオープンハウスに行って見比べて感じたココの一番の印象が、今住んでいて日々実感していることです。 ジャージのpapaも、クタッとしたクマちゃんも、100円ショップのパキラも、UFOキャッチャーのスーパーマリオもみんな大丈夫、セーフというよりアリです。 迷ってつけたパネルヒーターも季節を忘れてしまうほどの自然のあたたかさで、灯油代を支払うときだけはどうしても寒いのですが、タイマー設定がとっても便利で、 夕方の帰宅時と毎朝、「これつけてよかったー」とヒーターを触るのが習慣です。
難あって、夢があって、訳あって、縁もあって、いろいろあった甲斐あって、こんな我が家ができました。わーくす[借景をデザインする]参照、 と みんな気になるわーくすのその後、おまけわーくす[赤城を望んで借景がデザインされている家]をお見せします。(ばぅ注:支度中です。すみません)
ばうはうすのみなさま、すてきなお家をつくっていただき本当にありがとうごあいました。
明るいお家を壊さぬような、いつも明るい「住まい手」でいたいと思っています。
「住まい手」だって♥ 1回どっかで使ってみたかったんだー(._.)φ