「淡交」紅雲 徒然コラム特別編
5 葬送の音色
いつものようにアポなしで事務所を訪れたこの8月の中頃、珍しく岩上さんは施主との打ち合わせの最中だった。 いつものあの顔がガラス扉越しに見えた。 少しお疲れのようにも見受けられた。扉を開けて出てきた娘の桃子さんに、「お見舞いに伺えなかったので、その代わりに」と、バウハウス叢書10冊余を手渡し、すぐにその場を辞した。 私はこの月の始めに入院した彼を見舞う機会を逸していた。そして、これが生前の彼に会った最後となった。
次に会った彼は、その長身を自宅の居間に静かに横たわらせていた。顔が幾分ふっくらとして、瞑想でもしているかのように眼をつむった端正な顔の真ん中に、あの高い鼻が乗っていた。
「遺影、岩上らしいでしょう」と、久しぶりにお会いした奥さんの眼差しの先には、お気に入りのジャケットを着こなしたダンディな彼がいた。俯いた眼は、そこに安らかに横たわっている自分自身を見つめているようにも思えた。
10年とは言わないが、あと5年、いや、せめて2、3年は生きるのではなかったか。
さよなら、岩上さん。「花に嵐のたとえもあるぞ。サヨナラだけが人生だ」とは、あまりにも痛切な言葉である。
通夜の夜は激しい雨、告別式の朝は一転、からりと晴れ上がった、岩上さんらしい別れの日。 晩年、彼がよく足を運んだという居酒屋の主人が奏でる尺八の、美しい葬送の音色を体いっぱいに沁みこませてから、彼は「じゃあ、またね」と去っていってしまった。








