「淡交」紅雲 徒然コラム特別編
3 遊屋
三島由紀夫に「複雑な彼」という小説があるが、岩上さんも非常に韜晦な一面をもっていた。安穏な暮らしに収まりきれないアナーキーな影がときに顔を覗かせ、彼の中で葛藤していたように思う。 この韜晦さと鋭い感性、高い知力のゆえに、人とぶつかることもあったようだ。
せっかくの営業の場であるオープンハウスに見学者がみえても、お愛想を言うでもなく、笑顔を見せるでもなく、仏頂面で椅子に座ったまま動かない。 そんな場面に何度となく出くわして、ハラハラと、またどこか可笑しく、その様子を横目で見ていたことがあった。 ただ、この仏頂面、素っ気なさは建築デザイナーとしての彼が醸し出すオーラであるとも言え、これに惹かれる見学者もいて、仕事につながったことが二度三度ではないらしい。
大きな体躯に似合って、精神も、エネルギーも分厚いものがあり、その持てる多くを家造りに投入した彼であったが、それでも有り余るファナティックな部分を顕在化させたのが、「遊屋」だった モダンな和風の酒BAR「遊屋」は、彼のセンスと、物へのこだわり、食への情熱が随所に見られるスペースだった。また、彼の作る料理は、職人はだしの絶品だった。
私はといえば、美食には縁遠く、酒も下戸に近い。 私の味の記憶といったら、芝大門の仏蘭西料理店クレッセントのそれでもなく、初めて手にしたボーナスのおよそ3分の1をはたいて食した赤坂の極上ステーキでもなく、いつまでも心に残っているのは、 少年の頃、赤城山キャンプで食べたライスカレーや、同じく草津のスキー場の傍のひなびた旅館で炬燵にあたりながら食べた鍋焼きうどんのおいしさなのである。 味というものには、いつ、どこで、誰と食べたかということが大きく影響するが、それ以上に食の原体験は決定的らしい。
私の大好物は今も変わらぬ猫飯で、夏の日盛りに台所の片隅に立ったまま、大根やら茄子やらがひっそりと沈む冷えた味噌汁を冷や飯にかけて掻きこむその味わいは、何物にも変えがたい。
閑話休題。美食家ともいえる岩上さんの食の原体験は、どのようなものだったのだろう。私はそれを聞き逃した。
カウンターから椅子、大卓までがひとつひとつ丁寧に作りこまれ、器には倉渕に窯をもつ陶芸家の作品を用い、酒を選び、肴にもこだわった「遊屋」は、 酒食をこよなく愛した彼が長年の酒場通いの中で思い描いていた理想の飲み屋を自ら作ってしまったものなのかもしれない。 と同時に、彼と同種の人々が多く集う場所を、第二の故郷となった高崎に作りたかったのかもしれない。 ただ、この二束の草鞋は相当体にきつかっただろうし、バウハウスと遊屋の完璧な両立に一人で立ち回るのには無理があったのだろう。また、店の格に比べて料金もいささか安価に過ぎた。 あれこれが重なった末、店は数年して閉じられることになってしまう。失敗に終ったとはいえ、真に彼らしい企てではあったのだが、いま思えば、これが彼の命を縮める一因となってしまったのだろうか。
(※「遊屋」は「WORKS・1995」に掲載されています。)








