「淡交」紅雲 徒然コラム特別編
2 紅雲町の家
平成3年の夏の終り、「紅雲町の家」と名づけられた私の住まいがバウハウスの手によって完成した。 その年の初春、たくさんの思いを飲み込んだまま、古家はきれいさっぱりと取り壊され、おだやかな春の日ともあって余計に空虚感の漂う更地の片隅に、 連翹がまるで黄色の明かりのようにぽっと花を咲かせているのを見てからおよそ半年。土蔵をイメージした茶の塗り壁と杉板張りが調和した外観が古刹の参道に落ち着いた佇まいをみせる新居は、 そこかしこから木の香を漂わせていた。
家は、岩上さんから提示された、ほぼ最初のプラン通りに建てられた。 着工までに1年余のブランクがあったが、それはこちらの事情によるものであった。ただ1点、台所・食堂と居間の位置をそっくり入れ替えてもらったのだが、どうもこれは間違っていたかなと、今は多少悔いている。
家の前には、夏椿とエゴの木がまだ頼りなく葉を茂らせていたが、数本の木は岩上さんと私とでバウハウスのトラックに乗せて植木屋から運び込み、二人で植樹したものだ。
会社創業時から今日に至るまで、オープンハウスはバウハウスの唯一ともいえる営業手段である。 我が家の完成が近づいてきたある日、私は岩上さんから、この家をオープンハウスにすることと、また、これを告知するチラシ広告の制作を依頼され、これを引き受けた。
オープンハウスは盛況で、私が制作したチラシもお陰で好評だった。 これ以後、何棟かのチラシを作り、そのたびにオープンハウスに足を運んで、来場者の数に一喜一憂することとなった。 岩上さんは私が作るチラシに一度も注文をつけたことがなく、そのことが常日頃、客の分からなさ加減に辟易としていた私のやる気を一層刺激した。 チラシの制作がないときでも、自分自身の興味からオープンハウスのたびに足を運んだ。おそらく、私は今日までバウハウスが建てた家の8、9割はこの眼で見ていると思う。
チラシ制作を通じて、またオープンハウスを見る中で、私はバウハウスの、岩上さんの家造りのポリシーを知り、またバウハウスという工務店の経営姿勢を私なりに理解した。 「シンプル&ナチュラル&モダン」をテーマに、可能な限り自然素材を多く用い、デザインは奇をてらわずシンプルに美しく、住みやすさを何よりも大切にしながら実質を重んじて造る家。 また、営業費などは極力省き、その分を家作りに投入するという経営姿勢は、この後に訪れる経営危機に面しても一貫して変わることがなかった。 実に尊敬に値することではあるが、しかし彼が造りだす家は、いわば彼自身(の外化)であったわけだから、こうした姿勢は彼にとっては至極当然のことだったと思う。 あの誇り高い男に、自分自身を貶めることなどどうしてできただろうか。
20年にわたってバウハウスの家を見てきた私だが、ひとつ変わってきたことは、その造り込みの精度が着実に、格段に向上していることである 16年前に建てられた私の家は、まさに「住宅は3年住むと品質の良し悪しが分かる。5年住むと健康に良いかどうか分かる。 10年住むと子供の教育に良いかどうかが分かる」という住まいについての至言を実証済の家なのであるが、欠点をひとつ、あえて挙げるなら、室内の塗装が少し雑であったことだろうか。 あるオープンハウスの際にこれを言うと、彼は苦笑いしていたが。こうした質の向上は、棟梁の清水さんの力に負うところが大きいと、そのとき彼は話していた。
(※「紅雲町の家」は「WORKS・1991」に「紅雲の住み家」として載っています。)








