「淡交」紅雲 徒然コラム特別編
1 バウハウス
昭和63年の夏のある日。私は高崎市内のとある住宅展示場にいた。生活感に欠ける家並みに違和感を覚えつつも場内を巡るうち、その中の一棟に惹かれて、がっしりした木製のドアを押した。 私の前に髭の大男が現れた。風貌はいかにも建築デザイナー。「いらっしゃい」とにこやかに迎えてはくれたが、その物腰はあきらかに営業マンのそれとは異なるものだった。
それから彼とどんな言葉を交わしたか、話が弾んだことは憶えているのだが、詳細はすっかり忘れてしまった。 ひとつだけ憶えているのは、「工務店のネーミング、どんなのがいいでしょうね」と問いかけられたことである。 1時間近い彼との会話の中で私は、私の生業を口にしたのだろう。彼は、その展示場を事務所とする工務店に勤務する社員であったので、会社の社名変更でも考えているのかなと、そのときは思った。 今から20年前、まもなく昭和という時代が終わる年のことだった。
私はその会社が、というより髭のその男と展示棟のつくりが気に入り、そう日が経たぬうちに再び会社を訪れたのだが、そのときにはもう彼はその会社にはいなかった。 「なんだ…」とガッカリしたが、まあ、この建物と似た家を造ってもらえばいいのだからと、ここでも私のアバウトな性格が顔を出し、新たな担当者にあれこれと要望を伝え、その後、二度三度と打ち合わせの場が持たれた。 しかし、まもなくこちらにある事情が発生し、依頼をキャンセルすることになってしまった。
そのときから1年半は経っていたろうか、突然、私に電話がかかってきた。 「岩上ですが…」。展示場で会ったあのデザイナーからだった。 「家はどうなりましたか?」私は事情を説明し、彼もその後のことを語った。 私と会ったすぐ後に会社を辞め、バウハウスという名の小さな工務店を群馬町に設立したという。そうか、あのときにはもう独立することを決めていたのだ。そして、バウハウス! 私はその名前の大きさに驚いた。ハッタリ屋かとそのときは正直思ったが、後に、この名前は彼の建築に対する確かな志を示すものであったと納得することになる。
創業間もない小さな工務店の経営はさぞ苦しかったに違いないが、1年半の間、私に声をかけてくることをしなかった。 このことが彼の人間性をよく現わしていた。 そして、このときから、あの日、平成19年9月8日に至るまでの彼との長い付き合いが始まったのだが、私にある事情が起こらなければ、私たちの付き合いは生まれなかったことになる。出会いとは不思議なものだ。








